そろそろ国立の合格発表なので、それにまつわる記事が多くなります。
目次
受験生には4種類いる
これは林修も語っていることなんですが、受験生には4種類います。
- 死ぬほど努力して合格する人
- 死ぬほど努力して不合格の人
- 努力せずして合格する人
- 努力せず不合格の人
死ぬほど努力して合格する人
一番いいです。
死ぬほど努力して、言い訳になりうる要素を全部排除して、これで落ちたら自分のアイデンティティが揺らぐ、というほどまで追い込んで勉強する。
その結果、
合格を勝ち取れれば、それは何より自信になります。
苦しさも喜びも知って、人として一回り成長できます。
私もそうだったと自負しています。
もしこれで落ちたら、才能がないとしか言いようがない。浪人してもやることがない。浪人する気力がかけらも残っていない。
現役時にできることは全てやり尽くした。
ここまでくると、
「これで落ちたら仕方ない」というポジティブな気持ちと、「これで落ちたら自分には何ができるんだろう」というネガティブな気持ちが共存する複雑な心境になります。
これで合格して自信を得れば、今後勉強以外のことにも最大量の努力をして、自分にできる最高のパフォーマンスを発揮できるでしょう。
これから先の人生で限界まで頑張れる、能力の証明とモチベーションになります。
死ぬほど努力して不合格の人
2番目にいいです。
死ぬほど努力して努力して、自分を追い込んで、失敗したら立ち直れないレベルまで頑張れる人ってそうそういないです。
みんなどこかで「自分は本気出してないだけ」「実は隠れた才能がある」「そりゃあやればできるでしょ」と自分のアイデンティティを守ろうとします。
保身に走ります。
本気で努力する、って実は恐ろしいことなんです。
本気で努力して失敗したら、才能がないことの証明になってしまうから。自分の限界を知ることになってしまうから。
でも、
私は本気で努力できることこそ才能だと思います。
受験という2,3年の短いスパンで考えれば、才能にかまけて努力をしない人が勝つこともあるでしょう。死ぬほど努力しても負けてしまうことがあります。
しかし、
10年単位・人生単位で考えたとき、最後に勝つのは本気で努力し続けられる人です。才能に頼るだけの人間ではありません。
長いスパンで考えれば考えるほど、努力の影響が大きくなるのは明らかでしょう。
だからたとえ不合格だったとしても、本気で努力できた人は自分のポテンシャルを証明できたということに他ならないのです。
妥協せず、努力できる才能があったということです。
将来、どんな分野でもその能力は活きてきます。
受験は合否だけが産物ではありません。その過程で得られる経験こそが一番の成果物になりうる、ということを理解してください。
努力せずして合格する人
一番ダメです。
まあ別にいいと言えばいいんですけど。
努力せずに合格して大学生になる人は、一番コスパがいいようで、受験から何も得ることができません。受験によって成長することがないのです。
受験をただの苦行と捉えるのであれば、一番コスパがいいんですけど。
受験を経験と捉えるなら、一番得られるものが少ないです。
大学へ行って、調子に乗って、社会を舐めて、生きていくのはこういう人種かなと勝手に想像しています。確かに社会を舐めることによる、怖いもの知らずの強さっていうのもあると思うんですけど。
私は個人的に、
死ぬほど努力して不合格だった人の方が、受験を通していい経験を得たのではないかと思います。
努力せず不合格の人
いい教訓だと思います。
努力せず不合格の人は、別に当然の結果が返ってきただけです。
因果応報です。
サボった分だけ将来の自分に返ってくる。
それを体感できることが重要だと思います。
言葉で「因果応報」ときいて、「じゃあ毎日吐くまで努力しよう!」と思える人ってそうそういないと思います。
でも、
実際に経験として「因果応報」を味わっていれば、「じゃあ毎日吐くまでとは言わずとも頑張って努力しよう!」と思えるはず。
将来に生きる経験を得たと言うのが非常に重要です。
死ぬほど努力しても不合格だった人へ
多分、今は死ぬほど辛くて、どうしようもない気持ちでしょう。
それに関しては何にも言えません。
ただこの先長い人生でこの経験は必ず活きてきます。私の周囲の浪人生も、不合格で一回りも二回りも大きく成長したと言っていました。
大きな負の感情は、心の持ちよう次第で大きな正のエネルギーになりうる、ということ。
ぜひこの先も頑張ってください。
まとめ
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