読書をすると頭がよくなる。
成功者はみんな読書をしている。
そんな話はよく聞きますが、本当に読書の効果はあるのか。
読書してみたけど、まったく効果も出ないし、実は意味ない行為だったのではないだろうか。
読書は無駄だった?
そんなふうに思うのも仕方ないです。
目次
読書は無駄なのか?
読書に意味を求めるなら、
短期的には全くと言っていいほど
意味がない
それは断言できます。
昨日「バビロンの大富豪」を読んだからといって、今後の自分の人生が超裕福になるわけないです。
それなら世界中のすべての人間が大富豪になっています。
当たり前です。
読んだ文章をすべて吸収できるなんてことは起こりえないし、不可能なことです。
「羅生門」を読んだら、芥川龍之介並みの文章が書けるのか。
そういう話です。
「頭がよくなるため」「成功者になるため」に読書をしたって、何の意味もないでしょう。
でも長期的に読書をし続けるとしたら、
意味がないはずがない
私はそう思います。
これについては後で書きます。
まず短期的には意味がない理由。
読書が無駄な理由① 頭に残らない
正直いって、
読書をしても内容は記憶されない。
小学校のときの「ごんぎつね」のストーリーなんて超大雑把にしか覚えていないでしょう。
何なら欠片も覚えてない。
「スイミー」くらいなら筋を覚えてますかね。
所詮その程度。
何年も経ったら本の記憶なんてなくなる。
10年以上たてば、読書をした記憶さえなくなるかもしれない。
自己啓発本を読んだって、その内容を意識して行動し続けられる人はこの世の中に1%もいないわけです。
1年続けられたら立派です。
当然1年で成功者になれるわけでもないんだから、本の内容によって人生が変わることはないです。
どうせ1年後には普段の自分に元通りです。
今やっている努力は頭に全く将来に残らないのに、1冊に何時間もかけて読書しているの愚の骨頂ですよね。
ましてや、それにお金を払っているわけです。
正直無駄でしかない。
読書が無駄な理由② どうせ実現できない
読書は知識のインプット。
目標を達成するためのノウハウや考え方などを読めば、その目標が達成できると思っている。
本気か?
知識はいくらインプットしても行動に移さなければ、外からの評価は何も知らなかったのと同じ。
外からの評価が変わらないということは、あなたの価値も読書前とは1mmも変わっていないわけです。
知識を溜め込むことだけに重きを置いている、そんな人は読書をしたってなにも変わらない。
「新時代のダイエット法!これでリバウンドしない!」みたいな記事があったら、一瞬で食いつく。
けど、
いつも3日坊主でダイエットが続いたことがない。
それと同じです。
「成功者になるための3つの法則」みたいな本を買っても、それが実現できないあなたには無駄。
「読書 無駄」「読書 効果」みたいな検索キーワードで調べている時点で、もう知識だけを求めている典型例なんです。
あとは特別な条件がなければ続けられないようなノウハウも無意味です。
分かったところで、実現不可能。
特にアスリートの才能があるからこそできるような話は、凡人が知ったところで意味がないです。
例えば「ゾーンの入り方(集英社新書)」なんかも、入り方を知ったところでゾーンには入れません。
結局、凡人には実現できない話なんです。
読書をしても技術を吸収できないなら、読書をしたって意味がない。
読書が無駄な理由③ 小説は遊び
よくあるパターンで、小説を読む。
小説を読んだって、頭がよくなったり、読解力がついたりなんてことはガチでないです。
国語の読解問題で間違えるのって、なぜだか分かりますか。
自力では気づかなかったからです。
そんな状態でどんなに読書をしたって、解説がなければ毎回まったく同じ理解度のまま。
今の読解力を保持するだけで、読解力向上には意味がないです。
ましてや、設問もない小説は自分の理解度を試すための指標すら存在しないですから。
たしかに小説を読むのは楽しいんですが、自分の能力を上げるのには全く使えないので注意してください。
あくまで娯楽用。
読書は本当に意味がないのか?
今までの話だけを聞けば、読書には欠片も意味がない。
でも
最初に言った通り、読書は長期的には
意味がないわけない
そう私が思える理由を紹介します。
読書が意味をもつ瞬間
読書に意味がない、
というのは直接的にはないという話です。
間接的には読書はとても有益なものです。
読書が意味を持つ瞬間は、ずっと後にやってきます。
読書をする中で触れてきた様々な考え方、発想、観点、知識。これが積み重なっていく。
少しずつ積み重なってきて、自分の中で浅く溜まったいくんです。
だから思い出そうとしても、思い出せないし、日常ではまったく使うことのないものばかり。
でも
人の人生の一部を切り取った本の内容は決して意味がないわけはないです。ほんの少し自分の視野や考え方を変えています。
そして、この浅く積み重なっていた読書の記憶は突然目の前に現れます。
今直面している人の考え方や物事の状況が偶然にも、過去に読んだことのある話につながってくる。
「あ、この考え方聞いたことある気がする…」
そんな瞬間はいつか来ます。
そのときはじめて読書で培った知識や考え方が、自分の体験していることと混ざって深い理解になる。
深い理解になってやっと、自分の武器としてその読書の意味が発揮されます。
本の内容が自分なりにスッと理解できる。
だから、
読書で手に入れた知識が直接的に役に立つ可能性はほぼない。
でもいつか必ずヒントになる。
一度触れた内容なのだから、もう一度出てきたときには必ずヒントになってくれます。
もし読書をしていなかったら、きっと気づかなかっただろう些細な事にも目が向くかもしれません。
コスパはものすごく悪いかもしれないけど、読書によって他人の人生を覗き見ていなかったら分からなかったこと。
それは絶対に価値あるものだし、無駄ではないです。
でも、それが自分に使いこなせるかは謎。
今すぐ使いこなせる可能性はほぼ0だし、今後役に立つかどうかも分からない。
けど役に立ったときは、「あのとき読書していて良かった!」と思えるものになります。
まとめ
過去に読書で得た知識は、刺激があって初めて蘇ってきて、それが今の助けになってくれます。
読書を通じて考えたという事実が大切なんです。
一度考えていれば、その思考回路は消えません。
読書は人生という長い目でみて、やっと意味あるものに変わっていく行為だと私は思います。
勉強法でもなんでもなく、個人的な質問です。私は文字を読んでいるときや、文字を書いているときに頭の中でバキュンを入れるような言葉が思い浮かんできて、そのたびに心の中で「実際に起ったらどうしよう。」という不安要素が脳内で反芻されます。学校の友達に同じことはあるかと聞いたら、「全然ない。」や、「器用だね。」など、僕だけのようです。模試のときにこれが起き、名前を書くのに3分くらいかかりました(7点くらい失点しました)。とにかく、私は中学受験をしたのでそのストレスを起点におかしくなったとなんとなく自覚しています。知恵袋はなんとなく怖いし、先生にも言いづらい、親にはましてやなので、dio様に質問させていただきました。お忙しい中、非常に個人的な質問ですいません。dioさんは実際にこういうことは起きないかを知りたいです(ないとは思いますが)。こんなことがもう起きないようにアドバイスをお願いしたいです(私自身、できるだけ考えないように努めます)。あと応援しています!