東大生日記

【東大生 日記#8】成人式で感じた恐怖。未来の自分に投資する。

投稿日:2024年1月13日 更新日:

最近成人式がありまして。

ついに二十歳になりました。

 

成人の日の前日に中高の同窓会があり、成人の日には小学校の同窓会があったわけなんですが。非常に考えることのある会で、

月並みな言葉の重みを身をもって知りました。

ということで、

その経験を共有できたらなと記事を書いています。

 

 

目次

「現在への努力」と「未来への努力」

(ここで話す内容を図にするとこうなるので。迷子になったら確認してください。)

 

 

努力って2種類あると思うんです。

現在への投資の「努力」
未来への投資の「努力」

 

例えばアルバイトって、基本的には現在への投資ですよね。「今お金が欲しいから」、「明日コスメを買いたいから」、「来月旅行に行くから」。

言っても月単位で消費する・叶えることへの「努力」だと思います。

 

逆に勉強って、基本的に未来への投資ですよね。中学生・高校生にとって、勉強なんてしなくても困りませんから。困るのは大人になって、学歴や資格を問われるようになってからです。

だから年単位、場合によっては十年単位先で効果が出てくる「努力」だと思います。

 

定期テストを乗り越えるための一夜漬けの勉強は現在への投資ですが、学歴獲得・大学受験を目指してする普段の勉強は未来への投資なわけです。

まあ綺麗に2つに分けられるというより、どちらの要素が強いか、という話にはなると思うんですけど。

ここで大事なのは、

将来的に直接役立つか否か。

という観点です。

未来の自分のためになるなら、それは未来への努力だし。現在の自分のためにしかやっていないなら、それは現在への努力です。

 

要は人には

  • 未来のために頑張る(未来への努力)
  • 今のために頑張る(現在への努力)
  • 頑張らない(娯楽)

っていう選択肢があるわけです。

 

人の1日はこの3要素で成り立ちます。

会社に行って働いて生活費を稼ぐのは「現在への努力」。帰宅してキャリアアップのために英会話の勉強をするのは「未来への努力」。夜中に晩酌をするのは「娯楽」ですよね。

そんでもって「未来への努力」って「現在への努力」より価値が高いです。

高校生がする1000時間の勉強と、40歳がする1000時間の勉強の価値が同じはずがないですよね。高校生で1000時間した勉強内容は20代でも30代でも使えるんだから当然です。

「未来への努力」は利子付きで返ってきます。

これを踏まえた上で。

 

現在の自分のパフォーマンスって、

「現在の努力」
+過去の自分がした「未来の努力」

で決まると思うんですよ。

 

すごい単純化した例で言えば、

20代で英語を習得しました。現在40歳ですがドイツ語を勉強しています。って言ったら、20代での努力の英語と、現在の努力のドイツ語を合わせてトリリンガルという評価をもらえます。

今まで何も勉強してこなかった人なら、同じトリリンガルの評価をもらうためには現在ドイツ語と英語の両方を勉強しないといけません。

 

だから、

過去に「未来への努力」をすればするほど、現在のキャパが余る
だから、
余ったキャパで「未来への努力」をする。

っていう好循環になるわけです。

 

で、

年とともに要求される最低限のパフォーマンスが上昇します。

 

10代では何の努力もせずとも生活できるでしょう。
20代前半なら”普通”の大学生活を営むためにバイトくらいの努力はしないといけないかもしれません。
20代後半なら、家賃・生活費を稼ぐ努力が必要です。
30代になれば家庭を養う必要があるし。
40代になれば子供の学費が増えます。

 

少しずつ少しずつ要求される努力量が増加するわけです。

この努力量は「現在への努力」で賄っても、過去の「未来への努力」で補っても構いません。合計値での勝負です。

すると、

「未来への努力」をしていない人はどうなるか。

毎日生活するため、要求を満たすための「現在の努力」に追われてキャパシティの限界が訪れます。限界が訪れたタイミングで、生活レベルはもう上がりません。

毎日バイトで過ごしている人は、

10代では裕福でしょう。20代前半でもまだ不自由しません。20代後半で要求レベルと努力量が釣り合います。そしたら、30代以降はずっと20代後半の生活水準で生きていくことになります。

家庭も持たず、最低限の暮らしで精一杯の生活です。

 

 キャパの余剰
キャパの総量
ー「現在への努力」

 

これが現在のキャパの余剰分です。

キャパの余剰分は、「未来への努力」に使ったり、現在の娯楽に使ったりできます。より豊かな暮らしを送ることができます。

例えるなら、

「給料」が現在への努力で、「貯金額」が過去の未来への努力、「生活費」が要求される努力量です。 そしたら、とりあえず生活費分稼げばいいですよね。

で時間が余ると思います。

この余った時間をNetflix見てもいいし、さらに働いて貯金してもいいよね。

というお話です。

 

逆にこの値が0になったら終わりです。

0になった時点で将来の自分に投資(未来への努力)することができなくなります。つまり、将来の自分は貯金なし(過去の未来への努力)なしで生活することになります。

「娯楽」をする余裕もなく、どんどん生存のための労働になっていきます。

 

だから

若くて「要求される努力量」が少ないうちに、将来の自分に対して「未来への努力」として投資しておこうね。しないと、どこかで詰むよ。

と言いたいのです。

全部まとめるとこんな感じ。

 

 

 

「未来への努力」か「娯楽」か

先ほどキャパの余剰分について話しました。

 

例えば高校生とかなら、要求努力量なんてものは0に等しく(別にニートで生活できるので)、キャパの総量を全て余剰分として扱えるわけです。

このとき世の中の高校生は何をするか。

「バイト」と「遊び」

ですべての時間を溶かします。

 

すごい短い間隔で、「バイト」で稼いで「遊び」で消費するんですね。だから長期的に見ると「未来への努力」というのは一切残っていないわけです。

先ほどの言葉で言うなれば、

キャパの余剰分をすべて「娯楽」に使っている状態と言えます。

 

これは楽しいんです。

当然「娯楽」に時間をかけるほど、現在の楽しさは上昇します。将来のキャパの余剰分を削る代わりに。

 

で、

勉強熱心な真面目高校生なら、

キャパの余剰分のほとんどを「未来への努力」に費やすわけです。大学受験のために勉強して、いい学歴とって、一流企業に就職する礎を築いているわけです。

1日の最後に音のソノリティ聞いて「娯楽」は終了。

現在のキャパの余剰分を使う代わりに、将来のキャパの余剰分を広げているわけです。

 

ここで「娯楽」と「未来への努力」のバランスをとる必要があります。

キャパの余剰分をすべて努力に費やしてたら、そりゃあ大半の人はしんどくて毎日の生活が楽しくないでしょう。そうなったら、元も子もないです。

キャパの余剰分をすべて娯楽に費やしたら、とても楽しい毎日が待っているでしょう。ただいつか終わる有限の楽しさで、そこからはしんどい毎日です。

 

 

 

小学校の友達Aの話

で、

ここで小学校の頃の友達の話が出てくるわけです。

 

女の子なんですけど。

私「今何してるの?」
A「毎日飲み歩いてる!」
私「生活どやって回してるん?」
A「彼氏のクレカと夜職〜」
私「彼氏稼いでるん?」
A「いや〜現場だけど〜」

という会話をしました。

 

え、それで生きてくつもり??

 

と思いました。悪いですが。

大学も行かず毎日遊び歩いて、寄生する先も頼りなくて。今はいいかもしれないけど、この先死ぬほど苦労するぞ、と思いました。

友達Aは、

1日のキャパのほぼすべてを「娯楽」に費やし、過去の「未来への努力」もなく、毎日を生きているんです。

今は大学生で家賃もかからないし、彼氏のクレジットカードで何とかなるかもしれません。ただ要求される努力量が、彼女らのパフォーマンスを超えるのは時間の問題です。

なぜなら、

彼女たちが一切成長していないから。

 

夜職なんていうのは「現在への努力」の典型例で、将来成長していかないんですね。基本的には年齢とともに自分の夜職としての価値は落ちていきます。

空いた時間で資格勉強してます。

とかならまだしも。

 

成人式であった小学校の女友達はみんなこんな感じでした。

 

めちゃめちゃショックでしたね。

別に夜職を否定してるわけじゃなくて。夜職のコミュニケーション能力とか処世術は、絶対に東京大学の人間なんかより高くて、それは社会に役立つでしょう。

ただそれ以外の時間に何をしているかが問題で。

現在の「要求される努力量」が少ないことにかまけて、何の努力もせずに生きていけると思っているその頭にショックを受けたということです。

  

 

 

「人間関係」という環境のデカさ

「人間関係」というのは何よりも大事な環境だな、

とつくづく思いました。

 

最近一番一緒にいる友達5人の平均が自分である

というのはまさに的を射ています。

 

人間は周りに流される生き物です。

周りの友達が全員毎日10時間勉強していれば、それが当然のように感じて自分も勉強するし。周りが全員高校中退から現場仕事にいくなら、それが当然だと思う。

友達が全員東大を目指すから、それが普通だと思う。

 

いい学校に行かせる最大のメリットはそこだと思います。

周りの意識水準が高ければ高いほど、自分の意識もそっちに引っ張られる

 

高校の方の同窓会では友達とおしゃべりしたときに、将来どんな職につこうか、どんな分野を極めようか。そして協力して何かしでかそう。

そんな話が多いです。

 

逆に、

小学校の同窓会ではそんな話は一切ないです。小学校のときによく一緒に遊んでいた賢い友達Bがいるんですが、その子の話を少しします。

 

その友達は男の子で、高校3年生のときに高校を中退したらしいです。理由は現場仕事が忙しかったからだそうです。

現場仕事は毎日4,5時に起きて、夜の19時,20時くらいまで働かされるらしく、毎日デカい壁を作っていたそうです。

職場環境も荒れていて、

50歳くらいのおじさんが、30,40歳くらいの他の中年男性から殴られたり、ホースで水をかけられたり、イジメも日常茶飯事だと言っていました。

 

さすがにこのままではヤバいと悟り、友達は大学へ行こうと思ったそうです。

ただ当然現場仕事をして帰宅すれば相当に疲弊していて勉強どころではなく、すぐに寝てしまう。結局、入試の2週間前までそんな生活を送り、やっと仕事を辞めて勉強したそうです。

そして2週間でFランの法学部に入学。(友達はFランとしか言ってくれなく、大学名まではわかりませんでした。)

国家公務員になろうと、予備校に通って勉強することにしたそうです。

 

最初の1ヶ月は毎日シコシコ勉強して、予備校にも通い、「国税に勤めるんだ!我が家の大逆転を長男の俺が起こすんだ!」と息巻いていたようです。

ただ1ヶ月経ったとき、

中学校の後輩の女の子とばったり出会ったらしいんです。そこで猛アタックを受けて、付き合うことになったそう。

 

付き合ってからは堕落の日々。

「勉強しなよ」と言ってくれるような高め合える彼女のわけがなく(この地域の人は基本終わっているので)、欲に流されるまま時間を溶かし。

元々の中学の交友関係も彼女伝いに復活し。

今では酒を飲み、彼女の家に行くだけの毎日。

もう2ヶ月予備校には行ってないそうです。「また大学受験と一緒だ。頑張るべきときだとわかっているのに。」

と言っていました。

 

この友達も志は立派なんです。

成り上がろうとする意志、未来の自分に対して努力しようとする意志はあるんです。

私の地元では珍しく、しっかりと将来を見据えて、今自分が何をすべきかを考えるだけの頭脳は持ち合わせているのです。

 

しかし、

頑張り切る環境にいない。

 

もちろん本人の意志が弱いといえばそれまでなんですが、きっとこの友達が私の同じ中高に通っていて交友関係の意識が高ければ、苦せずして努力ができたのではないか。

将来の夢は国税ではなく、財務省とかだったのではないか。

 

とか思ってしまうわけです。

 

逆に言えば、

自分も中学受験をしていなければこちら側の住人だったのではないか。毎日を堕落した生活で繰り返すだけの大学生だったのではないか。

と思うと、

恐怖を感じた成人式でした。

 

私に中学受験を勧めてくれた小学校4年生の時の担任の先生と、それに応えて中学受験をさせてくれた両親には心から感謝しています。

私の人生のターニングポイントでした。

 

まとめ

未来の自分に投資するイメージを持ちましょう。

今の時間は、将来何倍にもなって返ってきます。良くも悪くも。

 

東大生だったら成人式ではもっとチヤホヤされるのかと思いきや。まさか東大生よりヤンキーの方が断然カッコいいと思われる世界線があるとは。

という嫉妬も込めてお送りしています笑笑。

 

まあ若いうちに「未来への努力」を行ったらいいこと起こるのかな。と、20歳の人生の中間発表にて思ったので、皆さんに共有しておきます。

中高生の耳に入れるだけ入れてほしいという、おじさんの独り言です。

 

 

 

-東大生日記

執筆者:


  1. スタプラ時代からの古参です より:

    いやあ、20歳で ここまで考えている
    人がいるのか、と感心しました。
    (私は中学生の子供がいる年代です)

    若いうちに
    自分に投資している人と、
    その日に流されて楽をしている人では
    その後の人生に差が出る

    ということは、みんななんとなく
    わかっているとは思うけれど、
    将来報われるかどうかわからない
    努力をするより、今が楽しければ
    いい、

    という易きに流される、と
    いったところでしょうか。

    ところで、
    小学校の同級生は
    幅がありすぎて、
    「いま、東大に通ってるんだ」
    「理三なんだ」

    といっても、反応が薄かったり、
    「へーすごいじゃん」
    程度だったのではないでしょうか。

    俗な言い方ですが、
    Fランの人達にとっては
    早慶や東大は上すぎて、
    違いがわからい。

    だけど、ランクが上がるにつれ
    東大理三の凄さがわかる、
    みたいな。

    小学校の同窓会では
    「ヤンキーがカッコいい」
    みたいな雰囲気だったんですね。

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